「今日は何の日」と題してシリーズでお伝えしています。
今回は3月21日に制定されている、「春分の日」についてご紹介したいと思います。
ちなみにこの日は、3月21日の3+2+1が、小学校の修業年数の6になることから、ランドセルをミニサイズに加工する店「スキップ」が記念日として提唱しています、「ランドセルの日」でもあります。
それでは、春分の日にどんな由来や、歴史があるのか解説してみます。
3月21日は春分の日!その由来や歴史は?
「皇・皇后・皇親」の霊を祭る儀式のこと。
春季皇霊祭(しゅんきこうりょうさい)という祭日が始まりである。
春分の日の由来とは
「国民の祝日に関する法律」が制定されたと共に定められた。
もともと「春分」も「秋分」も二十四節気のひとつ。
二十四節気とは春夏秋冬の四季を更に24に分けて、それぞれに名称をつけた、暦の上での季節の変わり目を示す目安となる日。
夏至や冬至などもその仲間で、夏至は一年で最も昼間が長い日で、冬至は逆に日照時間が最も短い日になります。
そして春分と秋分は昼の長さと夜の長さが同じになる日です。
明治11年、太政官布告23号で定められた春季皇霊祭(しゅんきこうりょうさい)という祭日が始まりである。
春季皇霊祭とは、この日に皇室で行われる歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式のこと。
この春季皇霊祭は皇室の行事ですので、昭和23年7月20日に「国民の祝日に関する法律」が制定されるときに、「春分の日」と改められた。
この法律の制定から春分の日は、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」とし、国民の祝日とされました。
春分の日の歴史とは
「春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)という祝い日」が始まり
春分の日が休日を設定されたのは100年以上前のことで、本来は春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)という祝い日であったのは先に述べたとおりである。
この春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)は春の皇霊祭であり、この皇霊祭は字のごとく、皇族である天皇、皇后、の霊を祭る儀式であり、宮中祭祀の一つであったと言われている。
この皇霊祭が1948年 昭和23年、この名称が使われていたが、その後に春分の日を改められた。
春分の日への名称変更理由は色々な諸説があり、23年の戦後のため、日本国民が天皇を神格化する行事の一つである皇霊祭廃止することにより、日本国民と天皇家の引き離しを当時の戦後のGHQなどの戦略であったのではないかという説が濃厚のようである。
宮中では現在でもこの春分の日には春季皇霊祭が行われているようです。
まとめ
「自然をたたえ、生物をいつくしむ」国民の祝日
いかがだったでしょうか?
春分の日の由来や、歴史についてご紹介してきました。
春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことが目的で、春分になる日が設定されて、その日は昼間と夜の時間がほぼ一致する日にちであるということでした、この時期を過ぎると昼が長くなりますね。