「今日は何の日」と題してシリーズでお伝えしています。
今回は3月26日に制定されている、「カチューシャの唄の日」についてご紹介したいと思います。
カチューシャとはヘアバンドのようなものをイメージしますが、関係があるのでしょうか?
それでは早速、カチューシャの唄に日にどんな由来や、歴史があるのか解説してみます。
3月26日はカチューシャの唄の日!その由来や歴史は?
1914年、ロシアの文豪トルストイ原作の『復活』を初演
その演目中に劇中歌として松井須磨子が歌った「カチューシャの歌」が大ヒット
電気記念日の由来とは
「カチューシャの歌」が大ヒットをしたのを記念して
大正時代には演劇では経済的基盤を確立できなかったで、娯楽性と芸術性の追求をしながら劇団の自立を目指して作られたのが、島村抱月と松井須磨子の芸術座です。
1914年(大正3年)ロシアの文豪トルストイ原作の『復活』を初演したのが3月26日。
その演目中に劇中歌として松井須磨子が歌った「カチューシャの歌」が大ヒットをしたのを記念し、3月26日がカチューシャの唄の日と制定されました。
カチューシャの唄の日の歴史とは
劇作家でもあった島村抱月とともに、芸術座を設立
「カチューシャの唄」は島村抱月と相馬御風が作詞を担当し、中山晋平が作曲しています。
これまでになかった日本の歌謡曲が、『復活』の主題歌として大ヒットし、劇団の興行成績も著しく上がったようです。
この大人気の公演は全国を巡る大がかりなものとなりました。
当初の目的であった経済的自立と芸術性の確保という、新しい劇団の体制の基盤となりました。
須磨子は、文芸評論家であり劇作家でもあった島村 抱月とともに、芸術座を立ち上げています。
須磨子と抱月は、それまで籍を置いていた演劇研究所を辞め、この芸術座を設立しているのですが、そのきっかけとなったのは、ふたりの「道ならぬ恋」だったのです。
妻子がある抱月と、研究所の看板女優、須磨子の恋でした。
これがスキャンダルになり、研究所にいることができなくなったのです。
その後ふたりで新しい劇団を立ち上げたのですが、芸術座の設立からおよそ4年後、抱月は病気でとつぜん他界しまいます。
須磨子はその翌年のはじめに、愛する人のあとを追って、自らの命を絶ってしまったのです。
舞台では、さまざまな女性の愛と悲しみを演じてきた松井須磨子ですが、彼女自身もまた、劇的な人生を駆けぬけたようです。
まとめ
「カチューシャの唄」が大流行したことに由来。
いかがでしたでしょうか?
カチューシャの唄に日の由来や歴史についてご紹介してきました。
カチューシャの唄の大ヒットを記念して制定された日でした。
歴史を見ても、須磨子の人生は演劇と現実とが重なり合っているように思えますね。