シリーズでお伝えしています。
今回は3月1日に制定されている、「ビキニ・デー」についてご紹介したいと思います。
ちなみにこの日は、1946(昭和21)年のこの日、労働者の地位向上を図る為の法律「労働組合法」が施行されたとして制定されている、「労働組合法施行記念」でもあります。
それでは、ビキニ・デーにどんな由来や、歴史があるのか解説してみます。
3月1日はビキニ・デー!その由来や歴史は?
核実験において反核集会などが始まった
50年間、日本の原水爆禁止運動が行われ続けてきている
ビキニ・デーの由来とは
太平洋のビキニ環礁での3度目の被爆
1954(昭和29)年、太平洋ビキニ環礁でマグロ漁船「第五福竜丸」が米の水爆実験により乗組員全員が被爆しました。
広島、長崎に続き3度目の被爆です。
この日をビキニ・デーと呼び反核集会などが行われています。
ビキニ・デーの日歴史は
1954(昭和29)年アメリカが水爆実験を行った。
1954(昭和29)年3月1日未明、アメリカは太平洋ビキニ環礁において広島型原爆の約1000倍の威力をもつ水爆実験(ブラボー)を行いました。
この核実験によって、マーシャル諸島の人びとや多くの日本漁船などが被災しました。
静岡県を母港とするマグロ漁船「第五福竜丸」が実験海域近くで操業中に、水爆実験による死の灰を浴びて乗組員23人が被爆した日です。
この第五福竜丸の被爆を契機に、日本中で原水爆実験反対運動が巻き起こりました。
日本の反核運動の始まりとなった記念の日でもあるのです。
この3・1ビキニ事件は、日本国民に大きな衝撃を与え、広島・長崎をくりかえさせるなと、全国に原水爆禁止の声がまきおこりました。
3千数百万の原水爆禁止署名が集められ、翌55年8月に第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。
原水爆禁止日本協議会(日本原水協)はその年の9月に結成されました。
それ以来、日本の原水爆禁止運動は、核戦争阻止、核兵器廃絶、被爆者援護・連帯を一貫してかかげ、世界諸国民や非核国政府と連帯して、世論と運動を広げてきました。
いまや核兵器廃絶は世界の大きな流れに発展しています。
アメリカは1954年3月1日から5月14日まで6回の地上、水面の水爆実験を行いました。
威力は様々ですが、3月1日の地上実験が最大で15メガトンの実験でした。
実験に際しアメリカ軍は、当日の気象などを参考に危険海域を設定しましたが、放射能物質の広がりは予測をはるかに超えたものだったのです。
まとめ
日本の反核運動の始まりでもある記念日
いかがだったでしょうか?
ビキニ・デーの日の由来や、歴史についてご紹介してきました。
ビキニ事件から60数年が経った現在でもまだ、その時の教訓が生かされないままに世界のどこかの国では核兵器廃絶が終わっていませんが、一刻も早く終わりを遂げたいものです。