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今回は3月9日に制定されている、「雑穀の日」についてご紹介したいと思います。
ちなみにこの日は、1894(明治27)年3月9日、日本初の「記念切手」が発行されたことを受けて記念日に制定された「記念切手記念日」の日でもあります。
それでは、雑穀の日にどんな由来や、歴史があるのか解説してみます。
3月9日は雑穀の日!その由来や歴史は?
日本雑穀協会が「雑穀の日」として制定
日本雑穀協会は、3月9日を「雑穀の日」として定め、雑穀のおいしさと共に、高い栄養価や機能性、作物資源としての重要性など、雑穀のすばらしさを世の中に伝えていく記念日として制してしました。
雑穀の日の由来とは
「3(ざっ)9(こく)」の語呂合わせにちなみ
食材として雑穀の良さを広めようとして日本雑穀協会が、語呂合わせから「ザッ(3)コク(9)」、3月9日に定めたものです。
この時季、レストランなどで春の新メニューが登場し、食品メーカーからも多くの新商品が発売されてきます。
その中に、少しでも多くの雑穀をおいしく取り入れていただきたいと願って、この日を雑穀の記念日に制定しました。
また、穀物を植える田植え前の時期であることから、色んな立場の人が雑穀について考えるいい機会でもあることと、3、9(サンキュー)という五穀の恵みに感謝する一日に最適だとしてこの日が「雑穀の日」となったようです。
雑穀の日の歴史は
古来より日本人の主食であった雑穀
時代背景や主食の変化につれ、雑穀はその捉え方も変わってきています。
現在の日本人の主食は白米であり、普段あまり食される機会の少ない穀物が広く雑穀と呼ばれています。
雑穀の主な起源はユーラシアとアフリカとされ、この2つの大陸でそれぞれ独自に雑穀が成立したと伝えられています。
紀元前3000年よりも以前から栽培されてきたものが大半という古くから食されてきた作物なのです。
実は日本における雑穀の歴史も古く、雑穀は日本古来の書物「古事記」の中で「五穀」として登場しており、「稲、粟、麦、小豆、大豆」の起源話が記されています。
「日本書紀」の中では、古事記の五穀が「粟、稗、稲、麦、大豆、小豆」の「六穀」となって登場しており、古来より日本人の基本的な食料であったと伝えられています。
江戸時代中期・元禄の頃には、上流階級のほか江戸など一部地域で、武士や町民の間でも玄米に変わって白米を食べる習慣が広がりました。
しかし多くの日本人は少量の白米にひえやあわを混ぜたものを主食としていたのです。
その後、戦後まもなくの間まで雑穀は日本各地で栽培され、多くの日本人が主食として食べていましたが、日本の高度経済成長とともに主食が白米へと変わっていきました。
日本の長い歴史の中で、主食が白米である時代はここ数十年と非常に短く、日本人の食生活を支えてきた穀物は、雑穀だったのです。
まとめ
「3(ざっ)9(こく)」の語呂合わで、日本雑穀協会が制定
いかがだったでしょうか?
雑穀の日の由来や、歴史についてご紹介してきました。
古来より主食として食されてきた雑穀ですが、高い栄養価や機能性、作物資源としての重要性など、雑穀のすばらしさを世の中に伝えていくために定められた記念日だったのですね。