シリーズでお伝えしています。
今回は3月7日に制定されている、「消防記念日」についてご紹介したいと思います。
ちなみにこの日は、「サ(3)ウナ(7)」の語呂にちなんで、日本サウナ・スパ協会が記念日に制定された「サウナの日」でもあります。
それでは、消防記念日にどんな由来や、歴史があるのか解説してみます。
3月7日は消防記念日!その由来や歴史は?
総務省消防庁により1950(昭和25)年に定められた
「自らの地域を自らの手で火災その他の災害から守る」という理解と認識を深めていくため。
消防記念日の由来とは
1948(昭和23)年3月7日に消防組織法が施行されたことにちなみ
1950(昭和25)年2月9日に国家消防庁(現総務省消防庁)により毎年3月7日と定められた。
これは、消防組織法が施行された1948(昭和23)年3月7日にちなんだものである。
広く消防関係職員及び住民の方々に「自らの地域を自らの手で火災その他の災害から守る」ということへの理解と認識を深めていただくため「消防記念日」が制定された。
消防記念日には消防庁において式典が開催されるとともに、消防活動に貢献のあった者に対して感謝状の贈呈等が行われている。
消防記念日の歴史は
公設消防制度のはじまりは1868(明治元年)「火災防御隊」が誕生
明治元年(1868年)、明治新政府は「武家火消」に代わる「火災防御隊」という定火消の役員等で編成される組織を誕生させた。
さらに、明治5年(1872年)に「町火消」を「消防組」と改め、組織改編を行った。
また、明治7年(1874年)に、消防組員に対して、旧来の鳶人足という古い概念を打破するとともに、規律を正して進退賞罰を明らかにし、服務の心得を説くために、消防人のあり方を示した「消防章程」を制定した。
そして、明治13年(1880年)には、消防事務は内務省警視局のもとに創設された消防本部の所管となり、今日の消防吏員にあたる消防職員(官)が採用されることとなった。
この時、併せて「消防本部職制度」も制定されることとなり、ここに我が国初の公設消防機関が誕生した。
明治期には、それまでの我が国では見ることのなかった優れた消防機器が、西洋から我が国に登場してくる。消防ポンプや救助はしご車等がその例である。
消防ポンプを最初に輸入したのは、明治3年(1870年)であった。東京府がイギリスから腕用ポンプ4台と蒸気ポンプ1台を輸入している。
蒸気ポンプの国産化に成功したのは明治32年(1899年)のことであり、その後、徐々に全国的に普及していき、明治後期から大正初期にかけて大いに活躍した。
一方、我が国初のはしご車は、明治36年(1903年)にドイツからの輸入品であった。
まとめ
消防組織法が施行されたことにちなみ制定された
いかがだったでしょうか?
消防記念日の由来や、歴史についてご紹介してきました。
現在日本には常時消防機関で働く人たちが16万人、非常時消防機関(一般人)の方々が85万人いると言われています。
専門の消防庁と市町村の地域の方々との協力で現在も活動されているのですね。