「今日は何の日」と題してシリーズでお伝えしています。
今回は2月13日に制定されています、「国旗制定記念日」についてご紹介したいと思います。
ちなみにこの日は「に(2)く(9)」の語呂にちなんで記念日に制定した「肉の日」でもあります。
ふくの日にどんな由来や、歴史があるのか解説してみます。
2月9日はふくの日!その由来や歴史は?
「ふ(2)く(9)の語呂合わせから
下関ふく連盟が制定した。
ふくの日の由来とは
下関ではふぐ(河豚)をふくと発音している
魚のふぐの本場、下関では河豚(ふぐ)を「ふく」と発音し、「福」と同じ発音であることから縁起の良い魚とされています。 「ふ(2)く(9)の語呂合わせから、下関ふく連盟が1980(昭和55)年に制定しました。
ふくの日の歴史は
江戸時代では「腹をふくらます」からの名前をつけている
日本では、昔からふぐのことを、布久(ふく)とか布久閉(ふくへ)などと様々な呼び方をしていました。
江戸時代になると、もともとは「腹をふくらます」や「ふくるる」から名前をつけているようで、「ふく」「ふぐ」「ふくべ」「ふくへ」「ふくとう」などといろいろな呼ばれ方をしていたようです。
なお、英語でも、水や空気を吹き出すの意味から、「puffer」(ふぐ)、「globe fish」(地球の魚、「swell fish」(うねり魚)と呼びます。
そして現在、下関では「ふぐ」とは濁らずに呼び、縁起がいいということで「福に通じる」の意味で「ふく」と呼んでいるのです。
また、中国でも、ふぐは食べられていて「西施乳(せいしにゅう)」という違う名前があります。
西施乳の由来は、中国の故事に残されており、春秋時代の後半に、呉と越という長年敵対していた二つの国があり、越王(えつおう)の勾践(こうせん)と呉王(ごおう)の夫差(ふさ)がいました。
越王の勾践に父を殺された恨みを忘れないために薪の上に寝て恨みを忘れないようにしたそうです。
やがて力をつけた呉王の夫差は、越王の勾践を滅ぼし、勝った夫差は、勾践に再び戦う気が起きないように西施という絶世の美女を送りました。
勾践は西施を片時も離さなかったそうです。
再び夫差へ攻めいった時には、あっけなく負けたとのことです。
「美しいバラには棘がある」から、ふぐにも「美しいが毒を持っていて怖い」の例えで「西施乳」と呼んでいるそうです。
中国では、おもに白子のことを「西施乳」と呼びます。
まとめ
昔からふぐの事を「布久」ふくなどの呼び方をしていた
いかがだったでしょうか?
ふくの日の由来や、歴史についてご紹介してきましたが、昔はふぐの呼び方は様々で「ふく」「ふくへ」などと呼ばれていたようですね。