シリーズでお伝えしています。
今回は3月8日に制定されている、「みつばちの日」についてご紹介したいと思います。
ちなみにこの日は、1910(明治43)年にコペンハーゲンで開かれた「第2インターナショナル」第7回大会で正式に制定された国際デーのひとつで、「国際女性の日」でもあります。
それでは、みつばちの日にどんな由来や、歴史があるのか解説してみます。
3月8日はみつばちの日!その由来や歴史は?
全日本はちみつ協同組合と日本養蜂はちみつ協会が制定
日本では平安時代に宮中への献上品にはちみつが使われるほど、当時は貴重品だった
みつばちの日の由来とは
「3(みつ)8(はち)」の語呂合わせにちなみ
3月8日は、「みつばちの日」、全日本はちみつ協同組合と日本養蜂はちみつ協会が「3(みつ)」「8(ばち)」の語呂合わせから、「みつばちの日」としました。
日本では平安時代に宮中への献上品にはちみつが使われるほど、当時は貴重品とされていたようです。
(ちなみに3と8をひっくり返した8月3日も、同じく両組織によって「はちみつの日」と制定されています。)
みつばちの日の歴史は
「日本書紀」の皇極2年(643)に養蜂のはじまりが記載
はちみつの歴史は古く、「はちみつの歴史は人類の歴史(The history of honey is the history of mankind)」という英語のことわざもあるくらいです。
かつて、世界三大美女の一人であるクレオパトラも髪や肌にはちみつをつけていたといわれています。
日本ではじめてみつばちのことが史上に現れたのは「日本書紀」の推古35年(627)のくだりに「夏五月、蝿有り、聚集れり、その凝り累なること十丈ばかり、虚に浮かびて以て信濃坂を越ゆ、鳴く音雷の如し。
すなわち東のかた上野国に至て散りぬ」との記載があります。
この頃は一般には「蜜蜂」という文字も言葉は出てこずに、これを蝿の群れと呼ぶほか表現の方法がなかったのでしょうか。
文献上で「蜜蜂」の語が初めて用いられたのは「日本書紀」の皇極2年(643)のくだりに出てきている「百済の太子余豊、蜜蜂の房四枚をもって三輪山に放ち、養う。
しかれどもついに蕃息(うまわ)らず」 という記載です。
百済人の余豊が奈良の三輪山で養蜂を試みたけれど、失敗に終わったという記録であり、これが日本における養蜂の最初だというのが通説になっています。
まとめ
「3(みつ)8(はち)」の語呂合わにより、養蜂の始まりは皇極2年
いかがだったでしょうか?
みつばちの日の由来や、歴史についてご紹介してきました。
美容と健康のために今では様々な食品や商品にも使われているはちみつですが、世界でも古くから食されてきたのですね。