「今日は何の日」と題してシリーズでお伝えしています。
今回は2月26日に制定されている、「脱出の日」についてご紹介したいと思います。
ちなみにこの日は、1936(昭和11)年、2.26事件が発生した日で、「2,26事件の日」でもあります。
それでは、脱出の日にどんな由来や、歴史があるのか解説してみます。
2月26日は脱出の日!その由来や歴史は?
ナポレオンが帝王の座を追われることになる
各地に戦争を仕掛けていき、やがては各国の連合軍から狙われる立場に
脱出の日の由来とは
ナポレオンが流刑﨑のエルバ島を脱出
1815年2月26日、ナポレオンが流刑先のエルバ島を脱出したことに由来します。
フランスの皇帝、ナポレオンは一軍人から立身出世を繰り返し、ついにはフランスの皇帝にまで登りつめた稀代の英雄です。
「余の辞書に不可能の文字はない」の言葉が有名ですね。
脱出の日の歴史は
一軍人から登りつめていき、その晩年が脱出の日
ナポレオンは皇帝としての座を確立した後に、各地に戦争を嗾けていった結果、イギリス、ロシア、ドイツなどの連合軍に袋叩きにあってしまい、皇帝の座を追われることとなりました。
ナポレオンはコルシカ島の出身。
フランスの士官学校を出て若い頃から戦術の天才として注目されていました。
イタリア遠征の成功で名を挙げ、その後 エジプト遠征でトルコを破り、この時『ロゼッタ石』を発見します。
1799年 ブリュメールの反動で頭領となって軍事政権を樹立。
その後終身頭領、やがて皇帝となってヨーロッパの大半を支配下に置く大帝国を築きましたが、しかし1812年冬のロシアで惨憺たる戦績となったのを境に運勢が降下。
1814 年退位に追い込まれて、地中海のエルバ島に流されました。
フランスでは革命で処刑されたルイ16世の弟ルイ18世が即位してフランス王国が復活します。
しかしルイ18世の復古的な政策は革命で自由を知った国民にはとうてい支持できるものではありませんでした。
それを憂えたナポレオンは流されてから10ヶ月後の今日、島から脱出し、パリに戻り国民の熱狂的な歓迎を受けました。
しかしこの時点でやはりナポレオンの運気は既に尽きていたのです。
政権復帰してからわずか100日後、ワーテルローの戦いで敗戦し、今度はまず脱出不可能 な大西洋の孤島・セントヘレナに流されて、そこで一生を終えたのです。
まとめ
ナポレオンがエルバ島から脱出した日
いかがだったでしょうか?
脱出の日の由来や、歴史についてご紹介してきました。
最後の島での生活は常に監視された不自由なものだったらしいです。
1821年、膨大な回想録を残したナポレオンは波乱の生涯を閉じたのが、51歳だったということです。